歴史の知識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 21:25 UTC 版)
科学的方法は歴史(あるいは、考古学)には適用されない。なぜなら、理論を検証するための「実験」を行えないからである。ある歴史学者が、ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルがワーテルローの戦いに到着するのが1時間遅れていたら、ナポレオンが勝っていたと信じていたとしよう。その歴史学者はその戦いを再現することはできないし、異なった条件で何が起きるかを見てみることはできないのである。 さらに、科学的方法は基本的に調査一般の帰納的アプローチの応用である。このアプローチは自然界の真理の探究(物理学、化学など)には適しているが、歴史などの目的論的な社会科学には不適切である。人間の関係には一定の部分はなく、計り知れない不定の主体的評価だけがある。電子は同じ条件下では同じように振舞うが、人間はそうではない。人が違えば反応は変わるし、同じ人でも時によって反応が変わることもある。そのため、人間の行動をいくら観測しても、見せ掛けの推論しかできない。多くの人間は、貧乏よりも富、死よりも生を好むものだが、そこから人類の不変の法則を推定することは不適切かもしれない。 歴史学者はしばしば、同じ史実について同じ一次資料を読んでいても、異なった歴史解釈を生成する。異なった解釈は他の歴史学者から歴史修正主義の烙印を押されるのが常である。これは社会科学者としての歴史学者が史実を解釈する際に常に関連性の主観的判断をしなければならないためである。
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