武装・非合法路線の本格化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:45 UTC 版)
「麻原彰晃」の記事における「武装・非合法路線の本格化」の解説
1993年(平成5年)には「すべての魂をポアするぞ」などと発言し再びヴァジラヤーナ・非合法路線を本格的に再始動、オウム真理教放送など一部を除いてメディアへの露出も減り、信者に兵器の開発や敵対者の暗殺を指示し多くの事件を起こす。殆どの事件は村井秀夫などの弟子に指示する形で行っていたが、薬剤師リンチ殺人事件では実際に現場に立ち会った。信者の運転する炭疽菌噴霧トラックに乗り込み都内を巡り、フリーメイソン認定した建物めがけて炭疽菌をばらまいていたこともあった。 サリン開発にも力を入れており、サリン70トン量産計画の早期実現を命令していた。この他、自動小銃密造など多数のオウム真理教の兵器開発を推し進めた。 また、この頃からアメリカ軍による毒ガス攻撃やQ熱の症状を訴え,「毒ガスでやられて死んじゃう」などと被害妄想が激しくなる。電磁波攻撃対策として専用車に金属ネットを張らせたり、肝癌になったと言って超音波検査をしたりしていた。 1994年(平成6年)からは麻原は急速に子供らに対し頻繁にスキンシップを繰り返すようになる。時には三女(麗華)にキスをしたり、抱きしめたりすることもあり、遊園地や食事に連れていく機会も増えたという。同年6月に松本サリン事件を起こしている。 1995年(平成7年)、阪神・淡路大震災の支援と称して神戸市長田区を訪れたが、長田区に遊ぶところがないと分かると帰ってしまったという。3月13日にはトイザらス岡崎店で、3月15日には彦根市のファミレスで信者を連れて出歩いていたのが目撃されている。
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