機械化設定隊の編成
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1942年(昭和17年)8月以降、太平洋戦争中期に入ってソロモン諸島の戦いが激化すると、制空権確保のために飛行場の急速整備が重視されるようになり、飛行場設定隊も急速に拡大が進められた。東條英機首相の「アメリカ軍は1週間で飛行場を整備してしまうから、日本は3日で整備できるよう研究せよ」との掛け声をきっかけに、工事中の陸軍柏飛行場を舞台にした研究が始まった。鉄道省や農林省、東京都なども土木機械を提供し、軍官民の共同研究が2カ月に渡り実施された。その結果、機械化が不可欠であるとの判定がなされ、同年11月下旬には、伐開機などを追加装備した最初の機械化された飛行場設定隊、第11野戦飛行場設定隊が編成された。人員・機材とも従来より大幅に強化した飛行場設定隊の編制も考案され、計10個の機械化設定隊の動員が着手されている。 1943年(昭和18年)2月、飛行場設定技術の研究と人員の訓練を目的とした専門機関として、陸軍飛行場設定練習部が豊橋に置かれた。同年7月には、航空総監部の名で『野戦飛行場設定の参考』と題する新しいマニュアルが作成・配布されている。 同年9月には、さらに16個の半機械化された設定隊が追加された。同時に、飛行場設定隊の増設に対応した指揮管理組織の増強も行われることになり、野戦飛行場設定司令部が新種の部隊として編成され、戦地の軍へと編入されるようになった。 その後も、絶対国防圏構想に合わせた航空基地整備のため、飛行場設定隊の増設は進められ、翌1944年(昭和19年)には40隊(機械化15隊・半機械化30隊・人力5隊)もの動員が計画された。実際に同年3月23日に、軍令陸甲第33号にもとづき飛行場設定司令部3個・飛行場設定隊38隊(うち機械化9隊)が臨時編成された。戦史叢書によれば、同月にはさらに6個の飛行場設定隊が編成されているという。 太平洋戦争後期になると、人員・機材も尽き果てた中で、人力作業によって建設作業を行う飛行場設定隊が多数現地編成された。
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