橋における戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 16:56 UTC 版)
戦闘司令部Bの作戦担当官ベン・コトラン少佐が到着し、橋がまだ残っていることを確認すると、第9装甲師団戦闘司令部Bの指揮官ウィリアム・M・ホーゲ准将に無線で連絡した。ホーゲの部隊はすぐに合流し、攻略を慎重に考えていたエンゲマンに、ホーゲは「すぐに町に移動して、一刻も早く橋を奪え」と命じた。ティマーマンは前夜、A中隊長に昇進したばかりで、エンゲマンは彼と彼の歩兵中隊をA中隊/第14戦車大隊の支援を受けてレマーゲンに入るよう命じた。ホーゲは東岸のドイツ軍の数と規模に関する情報を持っておらず、立っている橋は罠とみていた。ドイツ軍が橋を破壊する前に米軍に渡らせ、東岸の米軍を孤立させてしまえば、ホーゲは兵力を失う危険性があったが、この機会を逃すわけにもいかなかった。 大隊長のマレー・ディーバース少佐はティマーマンに「中隊を橋に渡せると思うか」と尋ねた。ティマーマンが、「まあ、やってみましょうか」と答えるとディーバースは「やってみろ」と答え、「もし、橋が吹き飛んでしまったら?」とティマーマンが続けて尋ねたが、ディーヴァースは何も答えなかった。 午後1時50分、A/27/9 AIBの部隊は町へ向かって出発し、その30分後、エンゲマンはA/14/9 AIBの17輌の戦車を率いて前進した。両者はほぼ同時に到着し、軽い抵抗を受けながらもレマーゲンの町を素早く通過した。ドイツ軍は町の防衛を国民突撃隊に頼っており、レマーゲンへの道路には、対戦車用の壕や地雷、有刺鉄線、塹壕などはなかったという。いくつか建設された防御陣地は、戦車を阻止するには弱すぎるか、開けた地形に設置されており、彼らが建設したバリケードは車両が通過するのに十分なスペースを確保していた。唯一手を焼いたものは、町の広場の上に歩兵が配置した機関銃で、パーシング戦車がすぐにこれを退けた。比較的妨害を受けずにアメリカ軍は橋の西端に到着し、戦車は橋の東岸を攻撃し始め、川に平行する線路の貨車に取り付けられた機関車を破壊した。 午後3時頃、アメリカ軍はレマーゲンの近郊で捕らえられたドイツ兵から、橋の破壊が午後4時に予定されていることを知り:214 、ティマーマンは煙幕を張るために燃える白リン弾をエルペルに撃ち込むよう砲兵に要請した。
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