横浜市電気局への譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/30 15:58 UTC 版)
「京王電気軌道1形電車」の記事における「横浜市電気局への譲渡」の解説
そのような状況にあった本形式に転機をもたらしたのは、1923年9月1日に発生した関東大震災であった。 この大地震での京王電軌の被害は23形3両が焼損した程度で比較的軽微であったが、横浜市電気局は在籍150両中94両を焼損するという壊滅的な打撃を受け、軌道の復旧もさることながら車両の修復が追いつかず麻痺状態に陥っていた。 このため、同局は大阪市電気局など日本各地の主だった電気軌道事業者に救援を要請、余剰車両の譲渡を求めた。 この際、軌間が1,372mmの馬車軌間で改造の必要が事実上皆無で、しかも京王電軌としては廃車を検討する状況にあった本形式14両および7形2両の合計16両に白羽の矢が立ち、横浜市側が一刻も早い車両の補充を必要としていたこともあって、同じく震災の被害からの復興もままならない東京市内から横浜市内まで、同じ軌間であった東京市電と京浜電気鉄道の協力の下、全車が深夜の両社局線を提灯の照明を頼りに自力走行で回送されるという、前代未聞の方法で横浜市へ送り込まれた。 横浜市ではこれらは以下のように改番された。 1形1 - 6→151 - 156 7形7・8→157・158 9形9 - 12→159 - 162 15形15 - 18→163 - 166 これら16両は到着後、塗装を変更し、車輪を焼き嵌めのタイヤ式から一体のチルド車輪に交換するなど、横浜市電気局の仕様に合わせた変更を実施した上で直ちに運用に投入され、大阪市電気局から11形の車体が到着するまでの、最も車両が不足していた時期の横浜市内において輸送力確保に大きく貢献した。 これらはその後1932年頃まで使用された後、全車廃車解体処分されている。
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