権利に関する略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:10 UTC 版)
すでにソ連時代にロシア国内では無許可の数多くの商品が出回っていたチェブラーシカであるが、ソビエト連邦の崩壊後、さらに多くの権利問題を引き起こすことになった。 1992年、ソ連崩壊後の混乱の中で、映画の権利は他の旧ソ連のアニメーションとともにアメリカの配給会社 Films by Jove, Inc. に渡った。日本の配給元であったチェブラーシカ・ジャパンは版権をこのアメリカの会社から得たが、ロシアのクリエイターたちはこの契約にいっさい関与することができなかった。原作者のエドワルト・ウスペンスキーは、ロシアの様々な商品におけるチェブラーシカのキャラクターに対する著作権が自分に属すると主張。 版権入手の際、ウスペンスキーを介していなかったチェブラーシカ・ジャパンに対しても著作権侵害であるとの訴訟を起こす事になる。 一方、2004年にチェブラーシカがオリンピックのロシア選手団のマスコットに決定したときには、それがウスペンスキーの許可しか得ていないものであったため、アニメーションのキャラクターの作者であるレオニート・シュヴァルツマンを中心とする人々によって異論が唱えられた。実際、1965年のウスペンスキーの本にあったチェブラーシカの挿絵は現在我々の知るものとはまったく異なるものであり、現在のキャラクターはカチャーノフのもとでシュヴァルツマンが創作したものである。また1990年代にウスペンスキーは『チェブラーシカ』«Чебурашка»の名前の商標権も獲得したが、これはロシアの有名菓子メーカーとの論争に発展した。2006年に新たに版権を獲得したチェブラーシカ・プロジェクトは、交渉の末、旧ソ連地域以外での版権問題がすべてクリアになったとしている。
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