極真会館除名後の大山に関する言動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:46 UTC 版)
「芦原英幸」の記事における「極真会館除名後の大山に関する言動」の解説
「大山先生が、俺へのご祝儀袋をごっそり持って帰るような人じゃなかったら、俺は土下座してでも極真会に戻してもらうわい」ALSを発症した後の、晩年の芦原は前述の言葉をはじめ、当時会館職員を務めていた原田寛(現・国際空手道連盟如水館館長)に度々大山への複雑な思いを吐露していたという。外食に行っても常に同じ物を食べさせてくれる事など、大山ならあり得ない、送ったはずの支部長費を送っていないと催促され、意地で求められた倍額を送金した事、怒りが込み上げてきて、池袋の極真総本部に乗り込んで銃撃してやりたいと思った事、それでも、「大山先生に出会って空手の指導を受けていなかったら今の自分はない」と考えて思いとどまるなど、大山に対する愛憎渦巻く思いを語っていたという。 他によく知られているのが、生前の大山が「私が死んだ時に少しでも財産が残っていたら弟子は全員私の墓に唾をかけろ」と言っていた事を引き合いに出して、「墓の周りに池が出来る…」と皮肉ったというものである。 ある昇級審査会の時、審査を受けた弟子に「大山」姓の人物がおり、苗字を聞いた芦原は「なに? 大山? いかんなあ、大山という苗字は!」と口走り、その後も「コラ! 大山!!」などと何度も呼びかけ、「大山」という苗字の人間を呼び捨てにして怒鳴りつけるという状況を踏まえ「はあ~、気持ちええなあ!」と大げさに喜んでみせ、普段は緊張感に溢れる昇級審査会場は爆笑の渦に包まれた。しかし審査が終わると一転して真面目な口調で「大山という苗字に恥ずかしくない、立派な空手家にならんといけんよ」と声を掛け、周囲の者たちは皆感激したという。 大山の逝去を伝えられた時、芦原は既にALSが進行して会話が出来ない状態だったが、しばしの沈黙の後、側近の原田に文字盤で、「大山先生の後を追って死んだと思われるのは嫌だからすぐには死ねない」と伝えたという。奇しくも、1年後に芦原が死去し、1995年の4月26日のほぼ同時刻に芦原の本葬と大山の一周忌法要が始まった。
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