極真空手との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 19:39 UTC 版)
昭和24年4月1日(金曜日)、館山に住んでいた大山倍達に親が頼み込んで弟子入りした。それまで、弟子を取らなかった大山にとって一番弟子であった。館山で大山に稽古をつけられる。中学を卒業すると大山が東京に移るのを追いかけるようにして東京へ行き、池袋の大山道場で稽古に励む。後に大山道場は極真会館と名前を変え世界有数の空手団体となっていく。大山に関するエピソードとして、正座した状態から直接ジャンプする修行を受けたことを極真会館の番組の座談会で披露して、同席した平岡正明(評論家・極真有段者)を驚かせたこともある。極真空手の映画を作るため大山から映画のプロデュースを頼まれたこともあるが、辞退している。現在は国際空手道連盟極真会館松井派総本部顧問の肩書きも持つ。
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