業績悪化と閉館
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新宿コマ劇場は1970年代に全盛期を築き、ピーク時には年間100万人を超える動員力を誇った。だが1990年代には演歌の人気低迷が深刻化し、運営会社の株式会社コマ・スタジアムは、同社の中心的な事業である演劇事業の収益が低迷するようになっていた。同社は2003年11月に経営再建計画を発表し、基幹劇場を新宿コマ劇場1館に集約すること、従業員を3分の1程度にまで減らすことなどにより利益を出せる体制に移行することを試みた。だがその後も従来型の演歌公演のほうは観客動員数が減少し、さらに新たに企画した公演のほうも期待したような成績が出せず、2期連続で損失を計上することになった。また新宿コマ劇場は築後半世紀が過ぎており老朽化が進んでいた。 2005年5月に新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受けることで阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった。 2008年5月28日に、コマ・スタジアムは東宝と新宿区歌舞伎町再開発事業について合意し、「築51年が経ち、建物自体の老朽化が進行し、また入場客数の減少に歯止めがかからず業績が低迷している」として同年大晦日の『年忘れにっぽんの歌』の生放送を以て新宿コマ劇場を閉館することを発表した。 2008年5月の段階では、閉館後は東宝の支援を受けて同時に閉館予定の隣接する新宿東宝会館(映画館の「新宿プラザ劇場」が入居している)を合わせた約5385平方メートルの敷地の総合的な再開発が展開される予定、と報道された。立地は東宝が所有しコマ・スタジアムは建物と借地権を有していることから、2008年12月に東宝が株式会社コマ・スタジアムを完全子会社化して跡地の再開発に備えた。 2008年12月22日19:30 - 20:45にNHK総合テレビが「さよなら新宿コマ劇場~涙と笑いの50年」を放送した。主催公演は12月の「愛と青春の宝塚」が最後であった。閉館当日の2008年12月31日は「第41回年忘れにっぽんの歌」が生放送され、北島三郎、五木ひろし、八代亜紀などの常連が舞台で歌唱してエンディングで「新宿コマ劇場 52年間夢をありがとう」のテロップが表示された。第59回NHK紅白歌合戦は「年忘れにっぽんの歌」終了後の撤去作業中の様子を生中継した。 その後は、新宿三丁目駅付近の新宿バルト9や新宿ピカデリーなどのシネマコンプレックスに客足を奪われた。
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