業績と受賞歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 06:33 UTC 版)
「レッド・アワーバック」の記事における「業績と受賞歴」の解説
監督としての勝ち数は938勝で、この記録は1995年まで破られなかった。監督としての優勝回数は9回で、これはフィル・ジャクソンの11回に次いでNBA歴代2位。監督時代にオールスター戦で指揮を取ったのは11回(地区で最も高い成績を上げているチームの監督がオールスター戦で監督に選ばれる)。 1965年に最優秀監督賞受賞。1967年以降、同賞を受賞する監督には「レッド・アワーバック・トロフィー」が授与されることになった。1968年に監督としてバスケットボール殿堂入りを果たした。NBA25周年の1970年には歴代最優秀の監督に選ばれ、1980年にはプロバスケットボール記者協会よりNBA史上最高の監督に選ばれた。また1980年には、選手人事の面で優秀な業績を残した者に与えられる賞 (NBA Executive of the Year) を受賞した。NBA50周年の1996年には、リーグ史上最も優れた10人の監督の一人に選ばれた。 アワーバックは1984年まで社長兼ジェネラルマネージャーの役職にあり、その後は1997年までおよび2001年以降社長の職にあった。ジェネラルマネージャーを退いたのちの1985年に、ボストン・セルティックスはアワーバックの業績を称えて背番号2を永久欠番にした。これはチーム創設者のウォルター・ブラウンのために背番号1が欠番にされていることに倣ったものである。 アワーバックがボストン・セルティックスで獲得した選手には、歴史的な名選手が数多くいる。なかでもビル・ラッセル、ラリー・バード、ケビン・マクヘイルはそれぞれのポジションでしばしば史上最高の選手に挙げられる。監督として成し遂げた8回の連続優勝記録は今も破られておらず、これに次ぐ記録は3連覇が最高である。またセルティックスの優勝回数17を超えるチームはNBAにはまだない。 黒人選手を積極的に登用したこともアワーバックの残した功績の一つである。アワーバックが監督を始めた頃、リーグには実質的に黒人選手がいなかった。ビル・ラッセルなどの黒人選手を活用したセルティックスは強豪としてリーグに君臨し、以降NBAでは次第に黒人選手が主流となっていった。
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