椎尾神社 (島本町)とは? わかりやすく解説

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椎尾神社 (島本町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/29 14:34 UTC 版)

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椎尾神社

二の鳥居
所在地 大阪府三島郡島本町山崎5-1049
位置 北緯34度53分41.9秒
東経135度40分25.3秒
座標: 北緯34度53分41.9秒 東経135度40分25.3秒
主祭神 素盞嗚尊
聖武天皇
後鳥羽天皇
社格 旧村社
創建 伝天平18年(746年)
例祭 10月18日
地図
椎尾神社
椎尾神社
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椎尾神社(しいおじんじゃ)は大阪府三島郡島本町に鎮座する神社。

祭神

素盞嗚尊聖武天皇後鳥羽天皇を祀る。

歴史

摂津名所図会』によれば、当神社は現社地より西南の山間にあった西観音寺に由来するという。同寺は、伝承によれば天平18年(746年)に聖武天皇の勅を受けた行基により草創され、聖武天皇の念持仏である千手観音本尊とし、慈悲尾山信善谷西観音寺と号する天台宗寺院であった。その後役小角が同寺内の閼伽谷で修行して呪術閼伽を湛え、堂前の滝に不動明王を安置し、山上に弁才天社を勧請したといい、西観音寺には大谷、中谷、閼伽谷の3つの谷があったので「谷の観音」と称したという。また、閻魔堂の閻魔像と十王像は小野篁が彫刻したもので、同寺と越中国中野、筑後国古津郡の3所に安置されたといい、後鳥羽上皇も水無瀬離宮より足を運び本尊を拝んだという。

後鳥羽上皇の崩後、西観音寺では毎年2月22日に御忌仏事を行っていたが、明治元年(1868年)6月、神仏分離で仏像仏器を撤却して閻魔像を大山崎の宝積寺に移し、椎尾神社と改称、同5年に村社に列せられた[1]

境内社

もと西観音寺の鎮守であった尾上神社があり、天照大神鴨別雷神応神天皇を祀る。

交通

周辺

脚注

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  1. ^ 天坊幸彦 「三島郡の史跡と名勝」(1961)(大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974)に収録 全国書誌番号:73009804



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