桜山荘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 20:58 UTC 版)
峰山町菅の桜山山頂にある機業家・吉村家の別荘で、2018年(平成30年)5月に、街中にある吉村家住宅ともども日本遺産「丹後ちりめん回廊」の構成文化財に追加認定された。 吉村家は屋号を「丹後屋」と称し、1872年(明治5年)頃に創業を開始した老舗の機業家である。明治後期から大正期の3・4代目の吉村伊助の時代に大きく躍進し、「縮緬王」とうたわれた。なかでも、4代目伊助は峰山町長や丹後織物商組合長を兼任、上水道の建設や峰山地域への鉄道の開通など公共事業の発展に尽力し、地域産業の発展と近代化に影響を与えた。 桜山荘は、1919年(大正8年)、4代目伊助が人材の養成と社会救済を目的として設立した吉村財団の活動拠点として、山を切り開いて建築した別荘で、「財団の発足、郷土振興ひいては国策等、重要な画策の多くも、ここで行われた」と伝えられる。1930年(昭和5年)頃に当地を訪れたとみられる与謝野鉄幹・晶子夫妻も立ち寄り、書画を残している。 建物は京都の大工・山田七蔵の手によるもので、書院造りと数寄屋造りが融合した独特な外観が特徴的である。周囲の山並みを借景とする庭園は、同じく京都から招かれた造園師・本井庄五郎の手によるものである。桜山荘は、職人の高度な技術と上質な材料を見ることができる近代和風建築として評価され、現在も創建当時とほぼ変わらない姿で維持されている。峰山町内に壊滅的な被害をもたらした北丹後地震にも耐えたことから、大工の山田七蔵は震災後の吉村家本宅の再建でも請われて腕を振るっている。なお、桜山荘は現在非公開となっている。
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