桜山大山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 09:27 UTC 版)
飛地である「桜山大山」が桜山の持ち分となった経緯についてははっきりしないものの、桜山の昔を語る会編「郷土誌さくらやま」(2001年)には、「元は長柄村のものであったが、江戸時代、土地の広さに応じて課せられた荷役に耐えかね、長柄では困って酒二升を付けて桜山に引き取ってもらった」、および「小田原北条の時代に年貢として多くの茅を小田原まで上納せねばならず、困った長柄が桜山に引き取ってもらった」の2説を紹介している。例えば江戸時代に土地の広さに応じて荷役が課せられることはなかったなど細部の信憑性には欠けるが、「元は長柄村の持ち分であったが、税のために持て余し桜山村に引き取ってもらった」という筋書きは共通している。 1773年(安永2年)の桜山明細帳には「当村持ち分大山の外、秣場御座無く候。右大山え、道法壱里、所により弐里余御座候。この山にて馬草・薪かり取り申し候」とあり、近世、ここは桜山村の飼料・薪の採収地として利用されてきたことが判る。したがって、現在は一部がスギ・ヒノキ等の植林、ほか大部分が天然林(二次林)となっているが、かつては定期的に伐採・山焼きなどが行われた草地であったと考えられる。 現在の桜山大山地区は全域が地域森林計画対象民有林であり、「逗子市緑の基本計画」では「二子山地区(桜山大山・森戸川源流域)」として、骨格緑地保全ゾーン/大規模緑地拠点に指定されている。神奈川県が推進する「三浦半島公園圏構想」では、桜山大山一帯の「二子山地区」は「国営公園連携地区」に位置付けられている。 また、サンコウチョウ、オオルリ、キビタキなど野鳥の繁殖地としても貴重であり、鳥獣保護地域に指定されるとともに、1992年には「かながわの探鳥地50選」にも選ばれている。 なお、現在は山深い雰囲気のある桜山大山だが、田浦方面に続く尾根上に「文政三辰八月吉日」(1820年)「牛馬安全」と刻まれた馬頭観音があり、近世、この尾根筋が桜山や沼間と田浦方面との往来に使われていたことが伺われる。
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