格闘家期
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2002年6月30日、立川競輪場駐車場大会の対松崎駿馬戦にてデビュー。 1995年、龍生塾に入りシュートボクシングを始める。 その後、龍生塾本部による格闘家集団「REX-JAPAN」の一員として大日本に参戦。 そして2002年6月3日の試合後、プロレスラーになりたいと表明し大日本所属となる。 デスマッチ団体を豪語する同団体の中で、レスリング路線のエースとして君臨。主に第1試合に出場。 EAGLEプロレスの近藤博之とタッグを結成していたが、互いにプロレスデビューが遅かった事から「チーム若作り」というチーム名となる。「チーム若作り」は、一時期大日本の第1試合に欠かせぬ存在になっていた(タイトル戦も第1試合で組まれた)。 晩年は、ハードコア戦線にも参入している。 その熱血ファイトスタイルは、2007年4月と7月に対戦した新日本プロレスの中西学をも驚かせて高い評価を得た。 2009年4月より、過去に痛めた両膝の治療のため、欠場していたが、8月2日、自身のブログにて膝の負傷にあわせ、以前より右目視神経を負傷していたことを告白し、会見にてレスラーを廃業することが発表された。 「引退」ではなく「廃業」とした理由は、タイトルを1つも獲得していなかった為と説明する。 2009年8月28日後楽園大会、引退セレモニーを行い、正式に引退した。
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格闘家期
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ダイビングヘッドバット タイガー・スープレックス 若作りバスター フィッシャーマンズ・バスターと同型。
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