栄光の到来
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1991年、ファイア・レコードからのシングル「マイ・レジェンダリー・ガールフレンド」がNMEに注目され、1992年、お蔵入りになっていた『セパレーションズ』のリリースにこぎ着ける。 1993年、ついに念願のメジャーレーベルとの契約を交わすと、翌年に発売したメジャーデビューアルバム『彼のモノ♥彼女のモノ(His 'n' Hers)'』が全英Top 10入りを果たす。プロモーションの過程で数多くのテレビ・ラジオ番組に出演すると、個性的なジャーヴィスの風貌やフロントマンとしての存在感が大きく取り上げられるようになった。ここに至って、ついにバンドは長きに渡った下積みを終え、メジャーな存在として花開いた。 1995年、ツアー・マネージャーだったマーク・ウェバーを正式メンバーに加えて、アルバム『コモン・ピープル(Different Class)』を発表。このアルバムは全英No.1に輝き、10日間でプラチナム・セールスを達成、英国内だけで120万枚のセールスを記録した。「コモン・ピープル」、「ディスコ2000」、「サムシング・チェンジド」と、シングルは軒並みヒットを続け、バンドは爆発的な成功を収めた。と同時にブラー、オアシスらとともにブリットポップの一大ムーブメントの「顔」として社会現象を巻き起こす存在となった。さらに怪我で出場を取りやめたストーン・ローゼズの代役としてグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーを務めた。 翌年のブリット・アウォーズでは4部門にノミネートされたが、マイケル・ジャクソンのパフォーマンス中に、彼に対する抗議のためステージに乱入する事件を起こす。(詳しくはジャーヴィス・コッカーの項目を参照のこと) 1997年、映画『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』の主題歌候補として「ゴールデンアイ」(詞も曲も異なる)を歌うが、最終選考でシェリル・クロウに敗れた。
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