栃木にいたうれしい酒焼日焼顔
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評 言 |
鈴木六林男の年譜を繙くと、平成3年(1991)8月に栃木市で開催された、山本有三記念路傍の石全国俳句大会で、「時間と季語の虚構性」と題して講演したとある。私は、栃木市の住民ながら俳句を始める前だったので、残念ながらこの講演は聞いていない。その後、私は地元の石田よし宏から俳句を学び始め、その3年後、鈴木六林男主宰の「花曜」に所属した。この句はまず、石田よし宏著の『月々のことば』(平成8年)の中で出会った。そこで掲句は〈栃木にいたぞうれしい酒焼日焼け顔〉(平成3年10月)となっている。 『月々のことば』は、よし宏がその時点における疑問や提言や感想を率直に巧まず綴りハガキで発信してきたものを10年を経て纏めたものである。〈栃木にいたぞ〉の句は、よし宏が俳句雑誌で見つけて取り上げたのだそうだ。当時石田よし宏は、栃木市俳句協会の会長をしていた。この路傍の石俳句大会の時には、主催する側として講師である六林男をもてなす立場にあった。元々よし宏は、六林男に作品を通して、大きな関心と敬愛の情をもっていた。「頂点」の同人になったのも、その思いからであろう。六林男を講師として迎えた喜びが想像できる。お酒が入り話は大いに盛り上がったにちがいない。〈栃木にいたぞうれしい酒焼日焼け顔〉からは、六林男の楽しそうな様子も目に浮かんでくる。 俳句は,師弟関係は勿論、句座を共にする仲間の繋がりや、結社や組織、いろいろな場で人と人を結ぶ力がある。私にとってこの句は、ふたりの師の元気な頃の息づかいを感じられる嬉しい一句なのである。 写真提供=フォトクラブ吉川 |
評 者 |
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備 考 |
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