東京裁判の中華民国代表判事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 15:33 UTC 版)
「梅汝璈」の記事における「東京裁判の中華民国代表判事」の解説
第二次世界大戦終了後は、東京裁判に中華民国の代表判事として本国での法曹経験は無かったが国民党政府から派遣された。梅はウィリアム・ウェッブ裁判長の定めた、米英中という席次に対して日本投降順にすべきだと猛反発し、最終的にはウェッブ裁判長の隣の席を得る事となった。 また、梅は反日主義者としても知られ、後に開廷前後の根拠不明な日記が(後述の文化大革命の際に、大部分が散逸した)「東京大審判」として出版され、その中では、「この28人の殆ど全てが中国に損害を与えた」(5月2日付)、「『民族優越主義』というでたらめな理論を唱え、国民を毒し、国民に威張らせ、中国を飲み込み滅ぼし、アジアを席巻し、世界を征服しようとした」(5月4日付)と日本を痛烈に批判している。特に、被告のうち土肥原賢二を「中国を分裂させ、内乱を起こさせた専門家」、松井石根を「南京大虐殺の総指揮者」、板垣征四郎・小磯國昭・梅津美治郎の3名を「中国侵略の達人」と記した。 また、天皇の起訴にも非常に強い意欲を見せており、「天皇が日本の侵略戦争に何の責任もないとはどうしても思えない」、「裁判官たち個人レベルの会話でも、しょっちゅう議論され、大多数の人は私と同じ見方を持っている」(4月8日付)と主張し、免責決定後には「政治的理由で起訴を免れたが、将来、再び提訴される日が来るだろう」(5月7日付)と記している。
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