東京留学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 08:28 UTC 版)
1881年(明治14年)平戸に帰省中の滋賀県令籠手田安定に父貞元が上京の斡旋を依頼し、4月22日大津に出たが、安定は上京中だったため、30日東京に出て面会したところ、大津で警察御用掛から警部になることを勧められたため、これを断り東京に留まった。 当初中村正直の同人社に入学し、12,3の児童等と英語、数学の初歩を学んだが、卒業に5年かかることから、9月1日専修学校に転じ、松浦詮に学資の援助を受けながら法律学、経済学を学び、英語、ドイツ語を兼修した。1883年(明治16年)7月法律科を卒業、3日の卒業式で講演した「権利論」では天賦人権論を否定、民権派を批判した。 卒業後、専修学校に科外講座設置を依頼したほか、鎌倉円覚寺の今北洪川に入門、1884年(明治17年)3月下糟屋村普済寺に参禅した。 12月高橋健三の勧めでアメリカ留学を検討中、4日甲申事変が勃発、清の情勢に目を向けるようになった。 1885年(明治18年)には巨文島事件を受けて陸軍士官学校教師に軍事学を学び、4月習志野演習場の野営演習を見学、5月には大蔵平三の伝で、新潟から上陸した軍隊を東京から迎え撃つ行軍演習を視察した。
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