東京画廊との専属契約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 07:06 UTC 版)
1958年には瀧口の紹介によって、東京・銀座の東京画廊で初の個展を開催し、13作品が完売したのを皮切りに、1960年、1962年、1963年、1973年、1976年、1980年、1991年、1994年、1999年にも同画廊で個展を開催している。斎藤は東京画廊と専属契約を結んで生活を安定させ、売上は東京画廊と斎藤とで配分した。国内外の展覧会には必ず東京画廊から出品し、特に画廊主の山本孝はヨーロッパで斎藤を売り込んで成功した。 1963年にスイス・ローザンヌで開催された第1回ローザンヌ国際前衛画商展では、世界各国の全17画廊がそれぞれ複数の前衛作家の作品を持ち寄ったが、東京画廊だけは斎藤ひとりに賭け、美術館主催の展覧会としては異例の1/3もの作品が売れた。なお、1960年代前半当時の斎藤の作品の売価は、4号で約12万円、よく制作する120号で96万円、国外では発送料や保険料などが加算されて120号が102-103万円になったという。当初は1号あたり2000円から始めたが、わずか数年間で1号あたりの価格は数倍になったという。斎藤の作品は日本で4割、日本国外で6割と、日本国外での販売数の方が多く、アメリカやフランスにもコレクターが存在した。ローザンヌでの展示後にはドイツ・ミュンヘンのフリードリッヒ・ダーレム画廊に持ち込まれたが、ローザンヌでもミュンヘンでも斎藤の作品は変わらず歓待された。
※この「東京画廊との専属契約」の解説は、「斎藤義重」の解説の一部です。
「東京画廊との専属契約」を含む「斎藤義重」の記事については、「斎藤義重」の概要を参照ください。
- 東京画廊との専属契約のページへのリンク