東インド諸島艦隊
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「東洋艦隊 (イギリス)」の記事における「東インド諸島艦隊」の解説
英国海軍の新鋭強力な艦は残らずニミッツ提督の指揮下に入るためにインド洋を経由して進出した。インド洋に取り残されたのは旧式で速力も遅い英国や連合軍の艦艇で、今や東インド諸島艦隊と呼称されたものだった。1945年、ラムリー島とアキャブ、それにラングーン近郊への上陸作戦および陽動作戦を含む、東インド艦隊によるビルマ奪還作戦(「ビショップ作戦」)が開始された。英インド諸島艦隊の第一の任務は、1945年5月初めにラングーンに対する水陸両用作戦を開始し、海上よりの進撃を援護して、英軍のビルマ作戦を支援するにあった。しかし、陸上戦が非常に早く英国側に有利に展開したので、日本軍は海上からの急襲が行われる前にラングーンを撤退してしまった。ところが、その少し後まで、ビルマ戦を支援して作戦行動中の五隻の駆逐艦に栄光の時がやってきた。 1945年5月15日から翌日に掛けて、イギリス艦隊は「デュークダム作戦」を実行し、第26駆逐隊(「ソーマレス」、「ヴィーナス」、「ヴェルラム」、「ヴィジラント」、「ヴィラーゴ」)は護衛空母機によって損傷させられたと報告された日本軍艦を追跡した。その駆逐隊が、やっとその間に追いついたのはすでに暗闇に包まれたマラッカ海峡の沖であった。そこで駆逐隊は一隻の重巡が真ん前にいるのを見つけたが、この間こそレイテ沖海戦において、栗田提督の中央部隊の一艦として奮戦した日本の重巡洋艦「羽黒」であった。英国部隊は恐れず突撃し、日本軍の優越した砲火を巧みに避けながらぐるりと取り囲み、魚雷射線を四方から注ぎかけて、ついにこれをマラッカ海峡に撃沈した。(ペナン沖海戦)。
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