東インド艦隊1865–1868年
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「ワイオミング (戦闘スループ)」の記事における「東インド艦隊1865–1868年」の解説
次の任務は1865年4月11日からであり、ジョン・バンクヘッド(John P. Bankhead)中佐が艦長に任命された。ワイオミングは東インド艦隊に配属され、9月25日にシンガポールに到着した。そこで、南軍のシェナンドー(CSS Shenandoah)を捜索する任務についた。この南軍の私掠船は、南北戦争が終わって1ヶ月たっても、未だ海上にあった。1866年中は東インド艦隊の一員として活動し、1867年にアジア艦隊(Asiatic Squadron)に再編されると、引き続きその一員として留まった。 1867年4月28日、横浜を出港したワイオミングは台湾に向かった。6月13日、台湾沖で座礁した米国の商船ローバー(Rover)の乗員が台湾原住民に殺害されたため、それに対する討伐に加わった。このとき、僚艦ハートフォード(USS Hartford、アジア艦隊旗艦)と共に陸戦隊を上陸させている。 極東での最後の任務を終了した後、1868年2月10日に米国に戻り、ボストンにおいて再就役可能な状態で係留された。1870年から1871年にかけポーツマス海軍工廠での徹底的な修理の後、1871年11月14日にジョン・デービス(John L. Davis)中佐を艦長として再就役した。
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