来歴、デビューから1979年まで
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「ミック・ジャガー」の記事における「来歴、デビューから1979年まで」の解説
ストーンズのメイン作曲家であるキースとともに、「ジャガー/リチャーズ」として数多くの楽曲を生み出している。ミックらはブルースやR&Bのカバーを中心に録音していたが、ビートルズの大きな成功を目の当たりにして、成功するにはオリジナル楽曲の必要性をレコード会社から迫られていた。このため、当時のマネージャーであったアンドリュー・オールダムによって、キースとともにキッチンに閉じ込められた逸話もある。この時期にいくつか制作されたオリジナル楽曲に、「テル・ミー」や当時ミックの恋人であったマリアンヌ・フェイスフルへ提供してヒットし、自分たちで再度録音してヒットとした「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」などが含まれていた。その後、「サティスファクション」(1965) や「一人ぼっちの世界」、「黒くぬれ!」(1966) などの世界的なヒット曲を生み出していき、ジャガー/リチャーズはレノン=マッカートニーに並ぶ新しいソングライティング・チームとして成長していった。その後も「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「ダイスをころがせ」「ハッピー」「悲しみのアンジー」「イッツ・オンリー・ロックンロール」「フール・トゥ・クライ」「ミス・ユー」などの優れた楽曲を発表した。78年にピーター・トッシュと共演した「ドント・ルック・バック」が発表した。78年までは好調を維持したミックとストーンズだったが、80年に発表した「エモーショナル・レスキュー」は彼らの行き詰まりを感じさせ、不評だった。 俳優活動にも取り組み1968年5月映画出演が発表された。この映画『青春の罠』(Performance)は同年7月にクランク・インし、1970年に公開された。この作品は裁判のためにバンド活動ができなくなったミックがその機会に、かねてより興味のあった映画業界にも挑戦したいという意向の表れだった。以降ミックは映画業界で俳優、監督業にも手を伸ばすようになった。こうした経緯から同作のサウンドトラックに提供された楽曲「メモ・フロム・ターナー」は、ジャガー初のソロ・シングルとしてもリリースされた。続けて1969年の5月には映画『太陽の果てに青春を』(Ned Kelly)への出演を発表。7月にオーストラリアのメルボルンでロケを行った。同作で彼は西部の殺し屋役を演じたが、映画の出来に関しては酷評している。また、ロケのため、同月のブライアンの死去に際して葬儀に行くことが出来なかった。彼はこのほかにも数々の映画に出演しているが、1997年の 『ベント/堕ちた饗宴』(Bent)では女装の歌手を演じた。
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