条約改正と監獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:58 UTC 版)
「条約改正」も参照 明治時代に結ばれていた不平等条約のうち、治外法権と領事裁判権の撤廃について欧米諸国から提示されていた条件に監獄制度の改善が挙げられる。1872年の監獄則並図式により法制度と洋式監獄の図面を調えたが、地方監獄では予算がなく旧式監獄を修繕しながら使用し続けていた。 1894年の第一次条約改正により治外法権と領事裁判権が撤廃され、外国人を収監することになると外国人ノ処遇標準(内務省内訓第712号)を設けた。また、レンガ造りの巣鴨監獄(1895年)をはじめ、五大監獄と言われた千葉監獄、長崎監獄、金沢監獄、鹿児島監獄、奈良監獄を建設し、外国人囚人の受け入れ体勢を調えた。このような監獄改善の取り組みは東洋からも高く評価され、中国(清)からも視察が行われた。
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