束の間の休戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 07:30 UTC 版)
「1794年5月の大西洋方面作戦」の記事における「束の間の休戦」の解説
5月30日の朝、ハウは艦隊のすべての艦長に戦闘準備が万全であるかどうか信号を送った。シーザーを除くすべての艦が万全であると回答し、ハウはフランスが退却した後、艦隊を前進させた 。風上にいるとはいえ、ハウの追跡はほどなく立ち込め始めた霧に邪魔され、何も見えなくなり、その日いっぱいフランスとの対戦は不可能となった。ハウは戦闘の機会を失うことを懸念した。しかし、5月31日には霧は晴れ、フランス軍がなおも北の方にいるのが認められた。イギリス艦隊にとって驚きだったのは、26隻のフランス艦隊が、先日の戦闘に受けた損害を、修復していないことだった。かたやイギリス艦隊は、艤装や戦隊が受けた損害を直していた。ヴィラレーは霧を利用して艦隊を建て直した。モンテニャールとフリゲート艦セーヌSeineを護送船団に派遣してはいたものの、ニールの戦隊のサンパレイユ、トラジャン(英語版)、テメレール(英語版)、そして艦隊にもニールの戦隊にも属さないモンブラン(英語版)(トランタン・メTrente-un-mai) が加わった。ヴィラレーは消耗の激しいアンダンタブルに、無傷の艦をつけて帰国させた。 5月31日は、ハウの艦隊は終日フランスの艦隊に風上の立場を利用して接近した。17時には両艦隊は5マイル(9キロ)離れていた。19時にハウは、艦隊に射程外に出るように命じたが、フランス艦隊まで、すぐ行ける距離にいるようにとも命令を出した。ハウは29日の混戦の轍を踏もうとは思わなかった。また、指揮を終日執れるのを確信しなければ、いかなる戦闘も遅らせるのを優先した。信号がはっきりしなかったり、誤って伝えられたりするのを避けるためだった。その夜、両艦隊は互いに視線で確認できる位置にいた。そして6月1日の夜明けには、両艦隊の距離は6マイル(11キロ)程度で、イギリス艦隊は再度の攻撃の準備をしていた。両艦隊は西の方向に向かい、ヴィラレーはなおもハウを護送船団から遠ざけようとしていた。
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