杜預の義例説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:30 UTC 版)
杜預は『左伝』の研究を通して、『左伝』が『春秋』の経文に対して解説を立てる基本原則は、以下の三つの場合があることを見出した。 凡例 「凡そ…」という書き出しによって義例を示すもので、周公が制定して以来の基本的な礼法を表している。孔子はまずこの「旧例」に従って『春秋』経文を修訂した。合計で50例あるため、「五十凡」と総称される。 変例 「凡そ…」ではなく、「書す」「書せず」といった用語で義例を示すもの。これは孔子が『春秋』経文を修訂する際に新たに立てた義例であり、孔子の「新意」を示している。 非例 義例ではなく、ただの事柄の帰結を説明したもの。つまり周公や孔子による是非善悪の判断や毀誉褒貶を含まない、客観的な歴史的説明のこと。 この義例説によって、杜預は従来の『春秋』研究とは異なる見解に到達した。その特徴として以下の三点が挙げられる。 『春秋』の経文は、実は「非例」つまり毀誉褒貶の義を含まない部分が最も多い。この考えにより、「春秋の義」が存するとされる部分が減少し、その分『春秋』は「史実を記した書」としての比重が大きくなる。 『春秋』の義例を周公以来の「凡例」と孔子の新意による「変例」の新旧二層に分けて捉え、周公・孔子という歴史を隔てた二人の聖人の意図を把握することが必要とする。 さらに、「凡例」と「変例」を解釈する場合も、杜預は史官が記録する際のきまりとして解釈する傾向が強く、「春秋の義」を事実の上で示そうとする態度を見せる。
※この「杜預の義例説」の解説は、「春秋経伝集解」の解説の一部です。
「杜預の義例説」を含む「春秋経伝集解」の記事については、「春秋経伝集解」の概要を参照ください。
- 杜預の義例説のページへのリンク