ハウの追跡とは? わかりやすく解説

ハウの追跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 07:30 UTC 版)

1794年5月の大西洋方面作戦」の記事における「ハウの追跡」の解説

ハウはヴィラレーの航路が、モンタギュ予定航路にまっすぐ向かっていることに気付いたまた、モンタギュがヴィラーレに遭遇した場合イギリス戦隊壊滅することにも気づいた。すべての帆に風を受けてハウ追跡態勢入った。そして5月20日に、ヴィラレーを大西洋上に追い込んだ翌日海上さまよっていたオランダ貨物船が、今度ハウ艦隊拿捕されることになったが、結局ハウはその船をすべて燃やす破目になったイギリス軍水兵たちにこの貨物船仕事でさせるのは、すでに人員不足である自分艦隊を、さらに弱めることになるからだった。捕虜となったオランダ貨物船乗員たちは、フランス艦隊目と鼻の先にいるが、ニエリ戦隊の艦や、また何隻かのフリゲート艦合流していて、戦力増強していたことをハウ教えたハウは、その時点でモンタギュ無事に南西方向にいるのを確信し2週間以内にヴィラレーと交戦できるという期待をもって前進した。しかし5月23日イギリス艦隊強風で南に流されフランス艦隊を見つけるために、のろのろと北へ戻らざるを得なくなったとはいえ、この遠回りおかげでハウは、ヴィラレーが拿捕した4隻のオランダ船を再び捕らえ破壊することができた。 5月25日の朝、ハウの追跡はついに実を結んだ偵察出していたフリゲート艦が、艦隊から1隻だけ離れていたフランス戦列艦午前4時発見したのである。同じころ、このフランス艦もハウ艦隊発見し即座にフランス艦隊方向逃げようとした。逃げてゆくフランス艦は、拿捕したアメリカ商船牽引していたが、これを置き去りにした、このフランス艦は、報告によればニエリ戦隊の艦オーダシュー(英語版)だった。イギリス艦隊はこのアメリカ船を燃やしその後オーダシューを追跡して、2隻のフランスコルベット艦20門のレパブリケーヌと、16門のアンコニュに追いつき、この2隻をも燃やした。それから3日間、ハウ艦隊追跡続け5月28日になって、東の水平線上やや南寄りフランス艦隊見つけた見張り役が、フランス風上にいることを知らせた

※この「ハウの追跡」の解説は、「1794年5月の大西洋方面作戦」の解説の一部です。
「ハウの追跡」を含む「1794年5月の大西洋方面作戦」の記事については、「1794年5月の大西洋方面作戦」の概要を参照ください。

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