杉野正の経営改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 17:16 UTC 版)
2004年7月1日に代表取締役社長に就任した杉野正は、しなの鉄道時代に「信濃のカルロス・ゴーン」とも呼ばれたほどコスト削減の手腕に評価が高く、その実力に期待が集まった。埼玉高速鉄道に転じた杉野は早速、契約関係の見直しなどによって3割のコスト削減を目指し、実現した場合にはそのうち1割分を社員に還元するなどの独特の案を発表した。 収入増にも力を入れ、それまで在籍していた旅行代理店エイチ・アイ・エス (HIS) とのパイプを活かして旅行業に進出したほか、ギフト販売などの副業に乗り出した。また、浦和美園駅の北方にある車両基地の東側社有地に整備された埼玉スタジアム2002への歩行者専用道路で飲食物を販売したり、駅構内の空きスペースに喫茶店や健康施設などをテナントとして誘致したりするなど、資産の有効活用などで成果をあげた。車内および駅構内への液晶テレビ(一部はプロジェクター)設置による動画(デジタルサイネージ)広告として2006年に開始した「SaiNet Vision」も、しなの鉄道時代に杉野が発案し成功したものの流用である。 一方で、自社線内の減便を中心とするダイヤ改正を、就任わずか3か月後の2004年10月1日に行うと発表(その後撤回)したり、東京地下鉄からの出向社員に対する大幅な給与削減案で東京地下鉄側を刺激したりするといった手法は、東京地下鉄側の態度を硬化させ、両者の関係を悪化させる事態となった。この給与削減案は、該当する社員らの強い反発で白紙撤回、杉野が謝罪するという異例の事態で終息を見た。このような展開となった理由は、当該社員らが運行の中枢を担う職務を行っており、案に反発した複数の社員が辞職を申し出たことで、列車の運行が不可能になる可能性があったためである。この結果、杉野は若手を育成する方針に転換した。 最終的に杉野は2007年の神奈川県知事選挙への出馬を決意し、杉野を招聘した当時の埼玉県知事の上田清司が慰留するも、7月の再任からわずか4か月後の11月に退任した。杉野の退任後、旅行業については漸次縮小され、ギフト販売は2007年1月に終了している。埼玉高速鉄道に関する社内・社外での対立が大きく報じられる事はなくなったが、埼玉高速鉄道の経営再建は巨額の有利子債務のために難航し、2014年の事業再生ADRに至った。一方、2012年に「Saiho Railway Vision」 (SRV) と改称されたデジタルサイネージ広告の提供、浦和レッズ戦やサッカー日本代表戦などでの歩行者道路飲食販売など、杉野時代に開始されたサービスの一部はその後も継続されている。
※この「杉野正の経営改革」の解説は、「埼玉高速鉄道」の解説の一部です。
「杉野正の経営改革」を含む「埼玉高速鉄道」の記事については、「埼玉高速鉄道」の概要を参照ください。
- 杉野正の経営改革のページへのリンク