本来の「折田先生像」
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折田彦市(1849年 - 1920年)は第三高等学校の校長を(その前身校も含めて)30年にわたって務め、京都帝国大学の設立に際しても創立委員としてかかわった人物である。折田校長の下で培われた三高の「自由の学風」は、後身である新制京都大学にも影響を及ぼしているとされている。 折田の功績を顕彰するための像は1940年以来過去3回製作されている。 1940年(昭和15年) - 三高卒業生有志者の寄付により像が制作され、三高本館前に設置される。 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争の金属供出により失われる。代わりに石膏像が制作される。 1950年(昭和25年) - 旧制高等学校廃止を記念し、同窓生の寄付により銅像が制作される。 現存する銅像「折田先生像」は1950年、辻晋堂(京都市立美術大学教授)製作によるものである。銅像は、かつての三高本館であった京都大学教養部A号館の前に設置された(教養部は1993年に廃止され、総合人間学部に移行)。しかし、ある時期から落書き・いたずらが相次いだため(後述)、1997年3月に大学当局は折田の像および台座を設置場所から撤去し、総合人間学部図書館の地下書庫に収納した。この像は13年半後の2010年10月より、京大吉田キャンパス本部構内南側の三高記念館設置準備室で一般公開が再開され、2013年より京大百周年時計台記念館1階の歴史展示室にて常設展示されている。
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