未盗掘の石槨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:30 UTC 版)
闘鶏山古墳の第一主体は、南北14.5メートル、東西10~11メートルと墳頂部の大部分を占め、第二主体は第一主体の北西部分にあって、南北8メートル、東西5メートルである。2002年の調査で第一主体、第二主体とも未盗掘で、埋葬当時の状態をとどめていることが判明した。 第一主体は古墳の主軸と平行して作られており、墳頂から天井石まで約2メートルとかなり深い場所にある。天井石の上は厚さ10~15センチの粘土で被覆されている。石槨は多くの20~30センチ×40~70センチ、厚さ4~6センチの板状の石を、合掌状に積み上げて作られており、天井石とともに徳島県吉野川流域産の結晶片岩が使用されている。 石の隙間からファイバースコープを通して石槨内を覗いたところ、棺は前期古墳では一般的な割竹形木棺で、棺材の一部は腐朽せずに残っていると見られる。被葬者の周囲には朱が撒かれており、頭蓋骨も朱に染まった形で確認された。副葬品としては三角縁神獣鏡2面、方格規矩四神鏡、碧玉製の腕飾り、南海産の貝製品、石製品、銅鏃、鉄刀などが確認できた。また三角縁神獣鏡のうちの一枚は、京都府木津川市の椿井大塚山古墳で発掘された鏡と同型のものであることが判明した。また、石槨の端部には甲冑の一部と見られる鉄製の小札が多数見つかっている。 第二主体は墳頂から天井石まで約1メートルとやや浅く、石槨の石材としては第一主体と同じ結晶片岩とともに、少量の石英斑岩が用いられている。棺はやはり割竹形木棺で、第一主体よりも多くの棺材が残されている。副葬品としては鉄刀が確認されている。
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