木崎原の戦いとは? わかりやすく解説

木崎原の戦い

(木崎原合戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/22 08:58 UTC 版)

木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)は、元亀3年(1572年)、日向国真幸院木崎原(現宮崎県えびの市)において伊東義祐島津義弘の間でおこなわれた合戦である。大軍(3000人という説が有力)を擁していた伊東側が少数の兵力(300人程度)しか持っていなかった島津側に敗北を喫してしまったことから「九州桶狭間」とも呼ばれる。但し桶狭間の戦いとは異なり、島津軍も兵力の85%以上が討死し、ほぼ全滅した。この戦いには相良義陽も伊東軍と連合する予定で出陣したが、義弘の謀略により撤退している。




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