池島川での攻防
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 11:59 UTC 版)
退却した祐信の隊は池島川まで下がり、鳥越城跡地で休息。兵の多さによる油断と、また折からのむし暑さのため川で水浴びする者が多かった。義弘は放っていた斥候・沢田八専からその情報をもたらされ出陣、正面からこれに斬り込み沢山の将兵を討ち捨てとした。ここで大将の祐信は義弘との一騎討ちに敗れ三角田の地で討ち取られる。その一騎打ちの際、義弘の乗馬した栗毛の牝馬は、祐信の突き出した槍の穂先が義弘を狙ったとき、膝をつき曲げこれをかわしたという (柚木崎正家との交戦のときとの説もあり)。 義弘は頃合いを見て一時退く。そのあと伊東軍は、祐信の隊と本隊が合流、白鳥山を抜けるコースで高原城へと退却を始めた。
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