丸目頼美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 05:47 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 元亀3年5月4日(1572年6月14日) |
別名 | 兵庫丞 |
主君 | 相良義陽、伊東義祐 |
丸目 頼美(まるめ よりよし)は、戦国時代の武将。肥後国相良氏奉行、後に日向伊東氏家臣。兵庫丞。
略歴
頼美は球磨の相良義陽に仕え奉行職にあった。しかし同じ奉行である東長兄と不仲となり、長兄が義陽とその生母「内城様(上田氏)」に取り入ったために頼美は謀反人とされてしまう。隔して永禄2年(1559年)、縁者である湯前城主・東直政と共に「獺野原の戦い」を引き起こすが、破れて日向国に逃れ伊東義祐の家臣となった。
固有名詞の分類
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