朝鮮半島にある孔子廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 06:25 UTC 版)
朝鮮半島では8世紀頃、新羅が唐王朝から孔子廟の制度を受け入れ、当時国立最高学部であった国学の内に孔子の祀廟を設置したことを始まりとし、以後の王朝でもそれを受け継いで高麗では開城の「国子監」、李氏朝鮮では漢城の「成均館」に付随してこれが司る孔子廟を設け、それを「文廟」(문묘)と呼んだ。文廟では、中央に「大成殿」(대성전)を建て、孔子とその弟子十人、周敦頤・朱子などの宋代の朱子学者、及び崔致遠・鄭夢周・李滉(李退渓)・李珥(李栗谷)等の朝鮮半島の有名儒学者を、大成殿の両翼に「東廡」(とうぶ・동무)・「西廡」(せいぶ・서무)の建物を設け、漢・唐以来の中国の儒学者と朝鮮半島の儒学者たちを共にも祀っていた。 地方でも成均館を倣って官学の「郷校」に孔子を祀る祀堂を置いた。なお、15世紀以後では、儒教の民間への拡散と共に各地で私塾である書院の設立が盛んとなり、書院でも必ずや孔廟が建てられ、孔子と儒学者たちを祀った。書院はのち各地の郷里士林の根拠となり、中央政治にも大きな影響を及ぼった。有名な書院で「陶山書院」などがある。 今でも成均館では年に二回(春の旧暦二月と秋の旧暦八月に各一回)「釈奠大祭」(せきてんたいさい・석전대제)と呼ばれる孔子を祀る儀式が行われているが、今の成均館は日本併合時代の以来、国立ではなく私立の大学になってそこに置かれている成均館がこれを司っている。そのほか各地の書院でも「釈菜」(せきさい・석채)と呼ばれる規模の小さい祀りが今までも行われている。
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