最高議会議長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:56 UTC 版)
「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事における「最高議会議長として」の解説
1932年の総選挙でフィアナ・フォイルは72議席を獲得、過半数に及ばないもののドイル内の第1党に躍り出た。この結果を受けて3月9日にデ・ヴァレラはアイルランド自由国総督ジェームズ・マクニールによって最高議会議長に任命された。彼はさっそく選挙の公約であった、臣従の誓い(忠誠条項)の撤廃と、英国への土地年賦の支払いの停止の実現を目指して動き始めた。これに対して英国は報復措置として、アイルランドへの輸出品に高額の関税を実施したため、アイルランドはたちまち経済危機に陥った。さらにジョージ5世の名によって総督ジェームズ・マクニールが更迭されるとともに総督のポストそのものも廃され、ドムナール・ウア・ブアハラを「シーナスカル」という総督に代わる新たな地位に就けた。こうして、アイルランド人にとって目に見える恨みの的であった総督職が、形式的であれ廃止されてしまった。 デ・ヴァレラは議会における不利を克服しようと1933年に総選挙を実施し、過半数を獲得して狙いどおりの勝利を収めた。デ・ヴァレラのもとでフィアナ・フォイルは1937年、1938年、1943年、1944年の総選挙でも勝利した。デ・ヴァレラは内政のみならず外交も自ら主導し、国際連盟の総会にも自ら出向いている。1932年、ジェノヴァでの連盟総会では自ら議長を務め、連盟の規約に忠実であるよう参加国に求める演説を行って参加者たちに感銘を与えた。1934年にはソビエト連邦の連盟加盟を支持している。1938年9月、第19代議長に選ばれるなど、国際政治の世界で一定の存在感を示すことに成功した。
※この「最高議会議長として」の解説は、「エイモン・デ・ヴァレラ」の解説の一部です。
「最高議会議長として」を含む「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事については、「エイモン・デ・ヴァレラ」の概要を参照ください。
- 最高議会議長としてのページへのリンク