最後のロシア・インテリゲンチャとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:14 UTC 版)
「ミハイル・ロストフツェフ」の記事における「最後のロシア・インテリゲンチャとして」の解説
主にマルクス主義者たちに批判された彼の「資本主義」概念は、ロシア革命以前に形成されたもので、ロシアが文明世界に仲間入りできるのか、ロシアでの近代化は可能なのかというロシア・インテリゲンチャが抱えていた問題意識に支えられており、ロシア近代化の主体は都市のブルジョアジーであるべきだ、という政治意識がローマ史観に反映している。ロストフツェフもかつてのローマ史家テオドール・モムゼンと同じく「私のように歴史的事件をくぐって生きてきたものは、歴史は愛か憎しみなしには書かれもせずつくられもしないということがわかりかけている」ということができたであろう。このように政治と歴史が結合した叙述は、科学と法則と客観性を重んじる現代史家のほとんどにとって受け容れがたくなっている。 ロシアの「インテリゲンチャの理想は常に民主主義と自由」であり、ボリシェビキ体制は「憎悪の体制」としてロシアから自由、文化、宗教、倫理性を駆逐しつつあるというのが、1920年代におけるロストフツェフの見通しであった。レーニンやトロツキーへの不当に低い評価や、個人経営を好む農民たちの反抗によりボリシェヴィキが早期に死滅すべき宿命にあると説いたことなど、ロストフツェフの政治方面での見解は、一方的で狭いものだった。それは工場労働者と農民の同盟が、中小地主や都市のブルジョアジー・専門職をのけ者にしてロシア国家を維持できるという可能性をどうしても理解することができなかった歴史家としてのミリュコーフと同じ限界であり、専制でもなければ革命でもない道を見つけることができなかったロシア政治家の苦境を表していた。著書・評論・論文あわせて400篇を優に超えるロストフツェフの巨大な業績は、現代ロシアでは絶滅された政治的自由主義の伝統と志の高さを代表しているといえよう。
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