書家 中村素堂
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中村素堂は、西川寧、松井如流らと共に、戦後の日本書道界を復興し、リードした先駆者的存在である。 1916年(大正5年)、15歳で武田霞洞に師事した素堂は、1923年(大正12年)、貞香会を創立し、主宰として晩年まで古今の書道研究および創作活動に当たった。戦後、1946年(昭和21年)に日本書道美術院が新たに創設されると、同院監事(のちに理事)および審査員に就任。その後、日本総合書芸展(のちの毎日書道展)審査員、東方書道院審査員などを務め、日本書道界の重鎮として創作および後進の育成に当たった。1961年(昭和36年)に日本書道連盟参与、1979年(昭和54年)に毎日書道展名誉会員となる。1982年(昭和57年)、毎日書道展文化功労賞受賞。 漢字作家として特に篆書・隷書を得意とし、代表的作品「永寧」は、モスクワ国立美術館に寄贈されている。碑文なども数多いが、代表的なものを挙げると、山形県山形市の立石寺(山寺)の歌碑、東京都文京区小石川の伝通院の記念碑などである。
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