更新修繕・終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 04:33 UTC 版)
「高野山電気鉄道101形電車」の記事における「更新修繕・終焉」の解説
1963年から1964年にかけて9両全車とも更新修繕を施工された。制御器が廃車となった木造車からの発生品であるゼネラル・エレクトリック製PC-14-Aに変更されて電力回生ブレーキが使用不能となり、高野下以南の急勾配区間への入線が不可能となった。また外板張り替えが実施されたため、車体からリベットがなくなり外観の印象が変わった。 デニ501形で唯一残っていたデニ501については荷物室を撤去してモハ561形に編入、既存車の続番としてモハ569と付番されたが、荷物室のあった難波方の非貫通運転台はそのままであった。以後は9両とも(通称)汐見橋線の汐見橋駅 - 住吉東駅間の折り返し列車専用となった。 しかし、本形式は南海の標準形車両ではないことから、モハ1501形に続いて淘汰の対象となった。 モハ561・564・565・567・568は1968年から1969年にかけて老朽廃車、566は1968年に天下茶屋駅構内で11001系電車と正面衝突して破損し翌年廃車、563は1968年に電動貨車であるデワ2002に改造され社用品輸送に使用されたが、これも1971年に自動車輸送に切り替えられたため用途を失い、デニ502の復旧車であるデワ2001は高野線の郵便・手荷物輸送に従事していたが、1971年に高野線の郵便・手荷物輸送が廃止になったため、前述のデワ2002とともに1972年に廃車となった。 モハ561形で最後まで南海に残された562・569の2両は1969年に水間鉄道に譲渡され同社のモハ364形364・365となった。水間鉄道での使用期間は短く、南海からのモハ1201形の貸与(のち譲渡)に伴いわずか数年で廃車となっている。 全車とも廃車後解体処分されたため、電力回生ブレーキの実用化で日本の鉄道技術史上において重要な役割を果たした車両であったにもかかわらず、保存車は1両も存在しない。
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