普化宗の廃止から新日本音楽までとは? わかりやすく解説

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普化宗の廃止から新日本音楽まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 20:44 UTC 版)

尺八」の記事における「普化宗の廃止から新日本音楽まで」の解説

普化宗政府により1871年解体され虚無僧尺八師匠などに転じた普化宗廃止後の尺八界の混乱期活躍した人物2代 荒木古童(竹翁、1823-1908)がいる。荒木虚無僧修行中に琴古流豊田古童に師事し普化宗廃止後も尺八普及尽力し琴古流中興の祖となった尺八指孔位置歌口改良したことでも知られ東京中心に全国普及させた。その門下である初代川瀬順輔(1870-1959)は近代尺八の祖のひとりと言われ2代荒木古童東京音楽学校教授の上六四郎に師事し1902年東京道場開いた関西では、箏、三味線との合奏である三曲合奏外曲とも称す)の先駆と言われる近藤宗悦(1821-1867)の宗悦流(現存せず)の中から初世中尾都山1896年大阪都山流創始した中尾は独自の工夫新作により自流曲目増やし記譜法教授法合奏形式などにも新機軸打ち出し近代的な家元制度整えて年月のうちに西日本門弟増やし琴古流に並ぶ尺八界の二大流派のひとつに育てた1920年代には、箏曲家宮城道雄尺八家の吉田晴風(1891-1950)によって、洋楽要素取り入れた新し邦楽目指す新日本音楽運動興り音楽研究家田辺尚雄町田佳聲らも同調し尺八では中尾都山福田蘭童野村景久らが参加して邦楽近代化寄与した野村新進気鋭尺八奏者作曲家として古賀正男はじめさまざまな音楽家との共演ラジオ出演執筆などで注目されたが、1933年一家四人殺して金を奪う事件起こして死刑となり、虚無僧怪しさから来る悪いイメージ払拭近代化進めてきた尺八界を揺るがせ、かつて「法器であった尺八精神性見直気運生んだ

※この「普化宗の廃止から新日本音楽まで」の解説は、「尺八」の解説の一部です。
「普化宗の廃止から新日本音楽まで」を含む「尺八」の記事については、「尺八」の概要を参照ください。

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