春風と「はるかぜ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 04:40 UTC 版)
「春風 (2代神風型駆逐艦)」の記事における「春風と「はるかぜ」」の解説
春風の名は、後の海上自衛隊初の国産護衛艦「はるかぜ」に引き継がれた。この命名のいきさつは、『駆逐艦春風』484ページにある筑土竜男元海将の回想によれば概略は以下のとおりである。 戦後初の国産護衛艦の名は、再建される海軍において極めて深い意味を持つと信じていた。これを鑑みて候補を探したところ、2隻の計画艦のうち、1艦は大戦全期間を通じて活躍してめでたく生き残り「幸運艦」・「武勲艦」と誉れの高い「ゆきかぜ」に即決した。姉妹艦名は難航したが、海上自衛隊の任務に鑑み、護衛戦において名を馳せた艦を探したところ大井篤著『海上護衛戦』にてその奮闘を讃えられた「はるかぜ」を見出した。「春風」は、開戦から地味な船団護衛に従事し、終戦時には傷つきながらも最後まで軍艦旗を翻していた名誉の艦であった。 — 筑土竜男、駆逐艦春風会『駆逐艦春風』私家版484ページ ただし大井篤は著作『海上護衛戦』において「春風」について特に言及せず、同著では以下の様に記述している。 商船護衛に役立つと思われた開戦時の艦種は、駆逐艦と水雷艇だけであった。この種の日本の艦種は航続力が不足だし、また、商船護衛には使うことのない魚雷発射管などを主要兵器にしていたのであるが、そんな点を除けば、まあまあ大体理想的な能力をもっていたといえる。だがこれら艦種のほとんど全部が艦隊決戦作戦に使われて、商船護衛用などには、ほとんど残されていなかった。開戦時、後方に残されてあったこの種の艦種は少数のお婆さん艦フネだけであった。 — 大井篤、大井篤著『海上護衛戦』100ページ 国産警備艦建造計画により昭和28年度予算で建造されたのは、甲型警備艦(DD)2隻…はるかぜ型護衛艦2隻(はるかぜ、ゆきかぜ)、乙型警備艦(DE)3隻…護衛艦「あけぼの」、いかづち型護衛艦2隻(いかづち、いなづま)の計5隻だった。
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