旧慈門院障壁画とは? わかりやすく解説

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旧慈門院障壁画〈彭城百川筆/宝暦元年四月の年記がある〉

主名称: 旧慈門院障壁画〈彭城百川筆/宝暦元年四月年記がある〉
指定番号 1713
枝番 01
指定年月日 1974.06.08(昭和49.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数
時代区分 江戸
年代 1751
検索年代
解説文:  陶原家はもと談山神社の子院の一つであった門院で、部分的に改造されてはいるが、江戸時代書院遺構そのまま保存され本図その四室にわたって描かれている。彭城百川【さかきひやくせん】(元禄十年宝暦二年・一六九七~一七五二)は、祇園南海柳里恭とともに初期南画家代表する一人で、本図宝暦元年一七五一三月五十五歳の時の制作にあたる。構図まとまりや強い陰影表現百川独特の様式をうかがうことができ、初期南画一つ方向位置づけ作品として注目しうるものである



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