旧制高等学校との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:31 UTC 版)
帝大は後期高等教育機関であり専門教育を行っていたが、前期高等教育で教養教育(外国語教育)を行っていた旧制高等学校とは密接不可分な関係にあった。 大学予科を付設していない帝国大学は旧制高校出身者を最優先に入学させる方針であったため、旧制高校卒業生は大学・学部を問わなければどこかの帝大に入学できた。もっとも、旧制高校卒業生であっても人気学部への進学は難関であり、各帝大医学部、東京帝大法・経済・工部、京都帝大工学部等へは数倍程度の倍率を要したとされる。一方で、京都帝国大学文系は定員無視の全入状態であり、東北・名古屋・九州の各帝大は旧制高校卒のみでは定員の半数程度しか埋められず、後述する北海道帝大のように大学予科を付設することも認められなかったため、旧制専門学校からの傍系入学を認めていた。 したがって帝大入試は現在のエスカレーター式高校から大学学部選抜のような位置であり、高等教育入試の主戦場は旧制高校入試であった。旧制高校の選抜の厳しさ、現在は存在しない知的特権性から、帝国大学卒業生の多くは出身帝国大学より出身旧制高校にアイデンティティを置いていた。旧制高校生は旧制中学生の憧れの的であり、密接不可分な旧制高校と帝国大学が2つに分かれ共鳴しあって魅力を高めあっていた。 明治・大正時代の考え方では、外国語(英語・ドイツ語・フランス語)で専門高等教育を行うのが旧制大学であり、その準備教育として旧制高等学校や大学予科で外国語教育を受け、日本語で簡易な高等専門教育を行うのが旧制専門学校であるという棲み分けであった。しかし、昭和時代に入ると旧制大学の教育も日本語で行うようになり、旧制大学と旧制専門学校の違いが教育年限と入学難易度だけということになり、戦前の昭和時代にも学制の改革は議論されていたが具体化するのは戦後である。
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