旧制高津中学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:08 UTC 版)
「大阪府立高津高等学校」の記事における「旧制高津中学校」の解説
中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつとなる。 1918年3月28日の文部省告示第38号により、大阪府立第十一中学校が大阪市に設置されることが認可された。設置当初は正式な場所は決まっておらず、大阪市北区北野茶屋町・心華小学校を仮校舎として設置された。 翌1919年3月28日の文部省告示第70号により大阪府立高津中学校と改称し、直後の1919年4月に大阪市東区東高津北之町(当時)の現在地に校舎が竣工して移転している。1922年には大阪府の学校では初めてとなる、鉄筋コンクリート校舎が竣工している。 初代校長の三沢糾は「自由と創造」を掲げ、「東の伊藤(東京府立第五中学校)、西の三沢」と称され、大正自由教育運動の象徴の学校とされた。 1934年9月21日の室戸台風では木造校舎が倒壊したが、校内での人的被害はなかった。 1945年3月13日深夜から3月14日未明にかけての第一次大阪大空襲では、校舎や倉庫などを焼失している。また5月22日、6月5日の空襲でも校舎に被害を受けている。空襲で被災した校舎は1948年2月に復旧した。
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