旧制高校等から新制大学へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 01:59 UTC 版)
「学制改革」の記事における「旧制高校等から新制大学へ」の解説
旧制高校、旧制専門学校、師範学校、高等師範学校、大学予科の募集は1948年(昭和23年)までであった。 ただし、3年で卒業したのは1947年(昭和22年)の入学者が最後である。1948年(昭和23年)の入学者は1年次を修了した1949年(昭和24年)3月で学籍が消滅し、新制大学を受験し直さねばならなかった(詳細は旧制高等学校を参照)。 1947年(昭和22年)度の旧制中学の卒業者、4年修了者の大学へのコースは旧制高校経由と新制高校経由の2つがあった。 1949年(昭和24年)、新制大学の発足にともない旧制高校、旧制専門学校、師範学校が新制大学に包括され、旧制単科大学も多くが新制の総合大学に包括されたため「東京大学第一高等学校」、「金沢大学第四高等学校」、「滋賀大学彦根経済専門学校」、「北海道学芸大学北海道第二師範学校」、「千葉大学東京医科歯科大学予科」、「広島大学広島文理科大学」というような名称になった。この状態が旧制学校の最後の卒業生が卒業するまで続いた。 東京大学駒場キャンパスでは東京大学第一高等学校と東京大学教養学部が同居して旧制と新制の学生が対立する光景も見られたという。 旧制大学の入試は1950年(昭和25年)度が最後であった。しかしその後も「白線浪人」と呼ばれる旧制高校卒の過年度生が多数いたので編入試験が行われた。 1949年(昭和24年)、学制改革で医学部・歯学部の入学資格は「大学2年修了者で特定の要件(科目および単位が規定された)を満たす者」となった。そこで単科医科(歯科)大学などでは旧大学令に基づく大学予科(旧制)を2年制とした上で学制改革後も存続させ総合大学では理学部内に2年制の医歯学部受験コースである「理学部乙」を設け、「大学2年修了者」の要件を満たした。新制と旧制の入り混じるこの変則状態は1955年(昭和30年)まで存続し、1955年(昭和30年)に大学予科と理学部乙は医学部・歯学部進学課程(新制)となった。 なお1925年に逓信省から文部省の所管となった高等商船学校は、新制の(国立)商船大学への移行が1949年(昭和24年)に実施された(高等商船学校#沿革)。また逓信省所管だった無線電信講習所の中央校は文部省移管後、新制の(国立)電気通信大学への移行が同年に実施された。
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