旧二条城跡について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:59 UTC 版)
日本の歴史書において二条城と呼ばれることのあるものは複数ある。 室町幕府13代将軍・足利義輝の御所。「二条御所武衛陣の御構え」。 室町幕府15代将軍・足利義昭の御所として、織田信長によって作られた城。二条通からは遠く離れていた。ただし、平安京条坊制の「二条」(二条大路と中御門大路(現椹木通)に挟まれた地域)には城域の南部分がわずかに含まれる。義輝の「二条御所」とともに「二条」の名を冠して呼ばれるのはこのためと考えられる。 織田信長が京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した邸「二条新御所」。この「二条」は二条家の屋敷跡に設けられたための呼称と考えられる。 徳川家康が京都の守護及び上洛時の宿所として造営した城。後の近代には宮内省の所管となり、「二条離宮」を経て、現在の「二条城(元離宮二条城)」の事である。 現存する二条城は4の城である。 1と2は同じ場所に造られたが連続性はない。1を「二条城」と称した例は当時から現代に至るまで無いが、2の前史としてここに紹介しておく。 2と3は同じものと見る説もあるが、『信長公記』その他の史料、及び発掘結果、残存地名などを根拠として、別のものとするのが現在では通説となっている。2と3について「二条城」と呼ぶのは、4.が完成した江戸時代以降のことであり、4と区別する趣旨で「旧二条城跡」と呼ばれている。 この節では、近世以降の現在の二条城である4.の前史として1の「武衛陣の御構え」と、2と3の「旧二条城跡」について略説する。
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