日産製サンタナ(M30型)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:33 UTC 版)
「フォルクスワーゲン・サンタナ」の記事における「日産製サンタナ(M30型)」の解説
日本では1984年から、日産自動車によって神奈川県座間市にあった日産自動車座間工場でノックダウン生産・販売された。 1980年、当時積極的な国外展開戦略をとっていた日産自動車の社長石原俊は、フォルクスワーゲンとの全面提携を所望、その足掛かりとしてサンタナの製造・販売を提案した。翌1981年、大和証券の仲介によって同車のノックダウン生産に関する提携は成立したが、フォルクスワーゲンはそれ以上の業務提携拡大には関心を示さなかった。その後、日本におけるサンタナの販売は、当初合意された月産4,000-5,000台の計画に対して、生産を終了した1991年までの7年間の合計でも約5万台という不調に終わり、両社の関係も後退した。特にマイナーチェンジ後の1987年前後に多発したAT車の暴走事故では、同年の衆議院第109回国会において、当時の公明党衆議院議員草川昭三の質問主意書にて、サンタナ(及びアウディ・100)のアイドリング制御装置の欠陥が直接指摘される事態にまで至り、その後の売り上げに大きな影響を与えた。 後継モデルとして1990年に発売されたパサート(第3世代)は、この経緯により当初日産によって取扱販売された。直後の1991年、フォルクスワーゲンは、日本での販売に関してトヨタ自動車と提携、日産との提携は解消された。 型式は当時の他の日産車と同じような「M30」が与えられたが(新規車種のため末尾は0)、車検証での車名は「フォルクスワーゲン(277)」と記された(輸入車種とは車名コードが異なる。輸入車種は「791」)。
※この「日産製サンタナ(M30型)」の解説は、「フォルクスワーゲン・サンタナ」の解説の一部です。
「日産製サンタナ(M30型)」を含む「フォルクスワーゲン・サンタナ」の記事については、「フォルクスワーゲン・サンタナ」の概要を参照ください。
- 日産製サンタナのページへのリンク