日本語ローマ字化計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:21 UTC 版)
「連合国軍占領下の日本」の記事における「日本語ローマ字化計画」の解説
1946年3月5日、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本語のローマ字化を企てる。戦前より「五大国」の一員であり、高い工業力を持っていた日本の識字率、就学率は、同じ列強のアメリカやイギリスに比べても高いにかかわらず、教育使節団はアメリカの教育についての知識は有していたものの、日本の教育や文化に対する情報が乏しかったため、「日本の民衆は奴隷化され識字率は低いのだろう」と思い込んでいた。それを自分たちが読むことすらできない漢字が障壁と考え、「ローマ字化すれば識字率が高まる」と一方的な推論を立て、日本語ローマ字化計画を企てた。事前調査として15歳から64歳までの国民1万7000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、漢字の読み書きができないのは、わずか2.1 %という結果が出た。これはアメリカの識字率をはるかに超えるだけでなく、当時の世界水準で見てもかなり高い識字率であったため、これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、調査官であった言語学者の柴田武に「字が読めない人が非常に多いという結果でないと困る」と回答した。が、事実を捏造することはできないと柴田は拒否した。この一件があってから、日本語のローマ字化計画は立ち消えとなった。1946年11月に制定された当用漢字は、こうした動きを受けて、「当面(すなわち漢字を廃止するまで)の間用いる」漢字を選別するために制定されたものである(一部の漢字は後に新字体に切り替え)。また、GHQの要請により日本の道路標識や出版物などに日本語とローマ字を併記することも実施された。
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