日本航空の主力機に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/21 08:16 UTC 版)
その後日本航空は、ターボファンエンジンを搭載した-53型、-55型、貨物型の-55F型、機体を大幅に延長した-61型、航続距離を飛躍的に増大させた超長距離型の-62型を逐次導入、1987年12月31日に全ての路線から引退するまでの27年間にリース機やイースタン航空からの購入機も含め計60機を導入し、延べ使用機数ではユナイテッド航空に次いで2番目のカスタマーであり、1967年3月6日に開設された世界一周路線(東京=香港=バンコク=ニューデリー=テヘラン=カイロ=ローマ=フランクフルト(またはパリ)=ロンドン=ニューヨーク=サンフランシスコ=ホノルル=東京)などの国際線、国内線の主力機として使用した。 また、日本と中国共産党率いる中華人民共和国の国交が樹立され、それに伴い運休した日本航空の中華民国路線を継承するため設立された日本アジア航空も発足時に主力機材として使用した。 なお、就航当初長距離路線や高需要路線を中心に使用することを想定されたDC-8を補佐するため、短・中距離路線用機材として、1961年に中型ジェット機であるコンベア880-22M型9機が導入された。しかし同機は操縦が難しく、整備も煩雑で故障が多く、定時出発率の確保が困難だったことに加え、その後のDC-8の各シリーズの大量導入と同サイズの新型機であるボーイング727型機の就航も重なり、1971年に早くも全機が退役、ボーイング747型機の下取りとしてボーイング社に引き取られた他、コンベア880型を多数運航していたキャセイ・パシフィック航空に売却された。
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