日本時代末期 - メキシコ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 02:59 UTC 版)
「河原温」の記事における「日本時代末期 - メキシコ時代」の解説
河原は1959年に日本を離れ、メキシコにしばらく滞在した。以後、パリ滞在を経て、1965年からはニューヨークを拠点として制作している。 離日直前の1959年には「印刷絵画」の制作を手掛けた。その発想と技法について、河原は『美術手帖』誌155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)に45ページにわたって自ら解説した文章を載せている。同記事で確認できる限りでは、「印刷絵画」は少なくとも3点制作されたが、あまり話題にならずに終わり、作者もこの方面をこれ以上追求することはなかった。 河原は1959年離日してメキシコに向かい、1962年まで同地に住んでいる。以後、時折日本へ帰国はするものの、制作の拠点は国外に移している。当時の日本では、一般国民の国外への渡航は制限されていた。河原がメキシコへ向かったのは、エンジニアとして同国に滞在していた父親の縁故があって渡航が可能であったためで、必ずしもメキシコないしメキシコ美術に特別な関心があるという理由からではなかった。 メキシコでの河原の活動についてはあまり明らかでない。この時期の作品は残っておらず、作者自身によって破棄されたとも言われている。1961年にサロン・デ・ラ・プラスティカ・メヒカーナ(Salón de la Plástica Mexicana)にて『ビビ夫人の奇妙な夢』("El extraño sueño de la señora Bibi")、1962年にガレリア・プロテオ(Galería Proteo)にて『白い壁の上の8つのデコレーションケーキ』("8 Decoration - cakes sobre los Muros Blancos")という作品を展示したことが記録に残っているが、どのような作品であったかは未詳である。1980年代以降、たびたび開催されている河原の回顧展において展示されるのは1963年以降の作品に限られ、日本時代やメキシコ時代の作品が併せて展示されることはない。なお、1962年にメキシコで制作したとされる『接続法』という、文章による作品が雑誌に掲載されたことがある。
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