日本帝国陸軍での在籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 00:21 UTC 版)
1943年、岩竹は学徒出陣により日本の大学から大日本帝国陸軍に徴兵された。岩竹は、船団への潜水艦攻撃により硫黄島の戦いを免れ、その後硫黄島の北150マイルにある父島に駐屯した。島々の間の無線通信を遮断するため、米軍は父島を爆撃した。岩竹は、1944年9月に後のアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュが登場するアベンジャー爆撃機が太平洋上空で撃墜されるのを目撃している。ブッシュは味方潜水艦によって救助されたが、同乗していた2人のアメリカ人乗員は死亡した。目撃した岩竹によれば、ブッシュは墜落の寸前まで機内に留まっていたという。ブッシュの任務は、島の通信塔と日本軍の爆撃であった。アメリカ軍による「アイランドホッピング」戦略により、島は侵攻を免れた。 岩竹はまた、日本軍がウォーレン・アール・ボーンというテキサス出身のアメリカ人パイロットを捕らえたときにも立ち会っている。岩竹は、このパイロットの父島での警備を任され、行動をともにした。岩竹とウォーレンは何時間も語り合い、個人的な親交を深めた。 岩竹によると、ある晩、風呂上がりに2人で歩いていると、岩竹が爆弾によってできた穴に落ちた。「真っ暗で出られなかった。彼は私に手を差し伸べて、手を取りなさいと言った」そしてウォーレンは岩竹を引っ張り出した。1945年3月に硫黄島が陥落した直後、ウォーレンは他の日本の海軍士官に連行され、斬首された。
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