日本の心臓移植の歴史
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日本においてはバーナードの第1例目の移植の1年後、1968年に札幌医科大学の和田寿郎により、国内第1例目・世界で30例目となる心移植が行われ(和田移植)、患者は術後83日間生存した。患者の死後、脳死判定や移植適応に関する疑義が指摘され、和田は殺人罪で告発される事態となった。最終的には証拠不十分で不起訴となるも、それ以降日本では臓器移植、特に脳死移植に対する不信感のために国民の合意が得られるのに時間を要し、世界では急速に移植医療が発展する中、日本の心移植適応患者は渡航移植以外の移植の道は約30年間にわたって閉ざされた。 1990年代になってようやく脳死からの臓器移植を実現するために関連学会も含めた議論が始まり、1992年1月の脳死臨調の答申を経て1997年10月に「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)が施行され、心臓移植適応患者の日本臓器移植ネットワークへの登録が開始された。そして1999年2月に国内2例目、同法下では初となる心移植が行われた。 その後2008年5月にトルコ・イスタンブールにて、国際移植学会が「臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言」を発表し、「臓器取引と移植ツーリズムは、公平、正義、人間の尊厳の尊重といった原則を踏みにじるため、禁止されるべきである。移植商業主義は、貧困層や弱者層のドナーを標的にしており、容赦なく不公平や不正義を導くため、禁止されるべきである」「国外患者への治療は、それによって自国民が受ける移植医療の機会が減少しない場合にのみ許容される」といった趣旨が明文化された。これを受けて、2009年7月に臓器移植法が改正(2010年7月施行)され、本人の意思が不明な場合でも家族の書面による承諾で脳死臓器提供ができるようになり、日本国内での脳死臓器提供数が増加、また小児(15歳未満)のドナーからの心移植が国内でも実施できるようになった。
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